COMOLI 小森啓二郎氏
上質でシンプルな日常着を志向するブランド、COMOLI。
COMOLIシャツやタイロッケンコートなど、定番人気のアイテムが多数あり、着心地よく、絶妙なシルエットで仕上げられています。
今、多方面から注目を集めるCOMOLIは、ドレステリアでも大人気です。
そのデザイナーの小森啓二郎氏ですが、実は2004年から数年間、ドレステリアのデザイナーをされていた過去があります。
COMOLIのデザインに、ドレステリアでの経験がどのように生きているのか…。
今回は小森さんと、古くから彼を知るドレステリアのメンズバイヤーとの対談でお送りします。
バイヤー(以下B:)お元気ですか?
小森さん(以下C:)元気ですよ(笑)
B:こういうインタビューを小森さんにするのは照れくさいな(笑)。いつもはもっと曖昧な話をしているから、こういう具体的な話を真正面からするのは初めてだね。小森さんはどうしてアパレル業界に入ったの?
C:学生時代から好きなことを仕事にしたいな、とは思ってたんですが、結局、服くらいしか好きなことがなかったからですかね。
B:どんな子どもだったんですか?
C:様子を見るタイプ(笑)。僕は東京の郊外で育ったんですけど、都心と暮らしている街とのギャップがあって、どちらかに染まりすぎるのは嫌だった。渋谷と郊外って雰囲気が全然違って、電車で移動していると、だんだんと街の雰囲気が変わっていくんですよね。どちらかの街に染まりすぎると、逆の街で雰囲気が浮くような気がしていた。 だからどっちにも染まりきらないファッションでいこうと思って。地元に染まりすぎるのも嫌だし、渋谷に染まって地元の友達に「変わった」って言われるのも恥ずかしいし(笑)。そんな10代の頃の感覚がベースにあるんですよね。環境に溶け込みたいという意識。その意識は、今の服作りにも影響していると思う。
B:ああ、そのときの気持ちが今につながってるんだね。初めて、自分で洋服を買ったときの記憶ってある?
C:初めてかどうかは曖昧ですが、高校生の頃、国分寺のマルイでコムデギャルソンのシャツを買ったんですよね。その当時、マルイの最上階はなんかイケてたんですよ。エレベーターに乗って6階のギャルソンの店に行くのはすごくワクワクした記憶があります。
B:COMOLIがスタートして8年だけど、8年前と今とで考え方が変わった部分はありますか?
C:そうですね、自分が着たい服を作ったらどういう反応してくれるのかな、というところから始まったんですけど、このまま作り続けて「COMOLI」というひとつのスタイルになっていってくれたらという思いがあります。
B:小森さんは今42歳ですよね。これから年を取っていく自分をどういう風に考えてるの? たとえば、主張の強い洋服を好んで着る人って、50歳、60歳過ぎても同じテイストを着続けるじゃないですか。小森さんもそういう風に、COMOLIをひとつのスタイルにして、続けていくつもり?
C:これから先、ブランドを続けていく中で、多少はやりたいことが変わっていくとは思うんです。でもそうなっても、見た人がCOMOLIらしさを感じてもらえたらいいなって思ってます。ただその”らしさ”をテクニックでやろうとするとつまらないものになっちゃうから、テクニックではなく感じたままを服に表現するっていうやり方で続けていきたい。
B:ちなみに「いつまでやろう」とか明確なヴィジョンはある?
C:全然わからないけど、服を作りたいという欲求を持ち続けている限りは続けられる気がします。
B:シーズンごとのインスピレーションはどこから得ているんですか?
C:最近は、何となく旅をすることでインスピレーションをもらってきている気がしますね。旅をする事って、服の真価が凄く問われるんですよね。ドレステリア時代の海外出張で感じたことも、今、役に立ったりしています。 洋服は年2回の展示会をやるじゃないですか。もちろん昨年と同じものではつまらないし、やっぱりシーズンごとに新たなものを見せたいですし。行ったことのない土地に行くと、日常とは違うものを感じられるし、そこでインスピレーションを得て、それで年2回の展示会に向けて、自分で「良い」と思ったものを発表したいと思っています。あとは、同時に「プロダクトとしてこうしたほうが良いな」と思った点を修正していく感じです。
B:ドレステリア時代の海外出張が今に役立ってると言ったけど、ほかにもドレステリアで経験したことで、今のCOMOLIの服作りに繋がっていることはあるのかな?
C:僕がドレステリアに入ったのは、当時のディレクターやチームと一緒にやってみたかったから。ドレステリアの服作りを勉強したかったからなんです。その中でも、パタンナーさんと仕事できたのも大きかった。意味があるデザインじゃないとパターンをひいてくれなくて。それまでは何となくデザインしていたんですけど、「何となくじゃいけないんだ」とすごく感じた。 あとは、自分は装飾的なものを作るタイプではないので、ドレステリアにいてその部分が凝縮できたかな、と思います。ドレステリアのチームは、自分なりの好みを振り切ってやっている人ばかりだったから、自分もそうやっていこうと思えたんです。
B:自分の立ち位置みたいなのを感じられたってこと?
C:そうですね。ドレステリアはトラッドでオーソドックスな雰囲気があって、実は僕にとってそれは得意な分野ではなかったんだけど、チームにいろんなジャンルの人がいたからこそ、自分の方向性とか得意なことが絞れた気がする。 「自分の位置はここかな」というのが見つかったんです。それに、当時の神南のショップがすごくカッコよくて、「いつかここに自分がデザインした服を置いてほしいな!」というのは凄く思っていました。
B:小森さんは、ドレステリアってどういうブランドだと感じる?
C:初期のドレステリアは日本が誇れるブランドだったと思います。日本のデザイナーズブランドって海外で話題になるときに、日本のアニメが海外でウケるのと同じ感じで、「ジャパニーズカルチャー」みたいに捉えられていて、服自体を洋服として見られていない感じがしてたんです。 でもドレステリアは、欧米のルールにのっとって洋服を直球で表現していて、しかも完成度がもの凄く高いから、欧米人からしても服自体を見ざるを得ないと思います。日本のブランドでこういうことができているところは無かったですよね。
B:一緒に働いていた当時のドレステリアでの思い出ってある?
C:デザインを提案してもなかなか通らないことの方が多くて、ディレクターがラフで描いた絵を分析しながら、その絵を具現化する作業を悔しいながらもどうにか楽しんでやろうと思って仕事してました。(笑)会社が終わったあと、みんなでよく渋谷駅まで歩きながら話したのも思い出深いですね。
Writer:Asuka Chida